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August 2081996

 ぐんぐんと夕焼の濃くなりきたり

                           清崎敏郎

送(むさしのエフエム・78.2MHz)の仕事は4時で終る。帰りのバス停留所までの道では、いつも真正面から西日をうける。バスを降りてからも、しばらくは西日の道だ。「ぐんぐんと」夕焼けていく空を見るのは、これから深い秋にむかってからのことになる。なんだかとても幼い発想のようにも見えるが、ここまでぴしりと言い切るのは、なまなかな修練ではできないと思う。ちなみに清崎敏郎の師である富安風生には、こんなチョー幼げな作品がある。「秋晴の運動会をしてゐるよ」……という句だ。小学生にでもできそうだが、ここまでできる人はなかなかいない。嘘だと思ったら、ひとつつくってごらんになると、納得がいくはずです。『東葛飾』所収。(清水哲男)


October 10101996

 秋晴の運動会をしてゐるよ

                           富安風生

書に「北海道を縦断して、一日汽車に乗り通す」とある。子供みたいな句ですが、面白いですね。俳句は、短歌でも現代詩でもない。こうした句を読むと、つくづくこの世界の懐の深さが思われます。パソコンなんて捨てちゃって、それこそ秋晴れの下、一日中汽車に乗り通してみたくなってくる。窓際には、冷たい缶ビールと上等な乾き物を少々。こんなふうに思わせるところが、俳句の力だというべきでしょう。(清水哲男)


October 10101997

 大漁旗ふりて岬の運動会

                           小田実希次

村の運動会とは、こういうものなのだろう。私が育った農村でも、大漁旗こそなかったけれど、村をあげてのお祭り気分という意味では同じであった。なにしろ小学校の運動会を見ながら、大人たちは酒を飲んでいたのだから、いまだったら顰蹙ものである。私はといえば、走るのが遅かったから運動会は嫌いだった。雨が降りますようにと、いつも念じていた。私の運動感覚はかなり妙で、野球は死ぬほど好きなくせに、走ったり飛んだりするのはおよそ苦手である。遺伝的にいうと、母は女学校時代に神宮で走ったことがあり、父はまったくのスポーツ嫌いだ。だから神様はナカを取って私をこしらえたらしいのだが、いやはや迷惑至極なことではある。(清水哲男)


October 03101998

 運動会今金色の刻に入る

                           堀内 薫

しかに、運動会には金色(こんじき)という形容にふさわしい刻(とき)がある。最後の種目、たとえば花の800メートル・リレー競争の行われるあたりが、その時刻だろう。競技も最高に(金色に)盛り上がるが、その頃になると日の光りも秋特有の金色となってくる。スタート・ラインに集まってくる選手たちの影が長く尾を引きはじめる時刻だ。活気溢れるイベントの最中に、はやくも金色の秋の日ざしが夕暮れの近さを告げているわけで、華やかな気分のなかに生まれてくる一種の衰亡感は、私たちのセンチメンタリズムを心地好く刺激してやまない。まさに、金色の刻ではないか。私は鈍足だったから、運動会は嫌いだった。が、たった一度だけ、二人三脚リレーで大成功した経験がある。それは、たまたま組んだ友人が左利きだったおかげであり、鈍足でも二位以下に大差をつけることができて、このときの快走だけは忘れられない。運動会のシーズンだ。たまに見に行くと、鈍足の子のことばかりが気にかかる。考えようによっては、最後の種目がはじまる頃が、そんな子たちにとっての別の意味での最高の「金色の刻」でもあるわけだ。(清水哲男)


October 10101999

 来賓の姿勢つづきぬ運動会

                           岡本高明

動会に来賓(らいひん)を呼ぶのは、何故なのか。文化祭や学芸会に来賓のいる風景は、私の通った学校では一度も目にしたことがない。ま、常識的に考えて、富国強兵策の名残りだろうとは思うけれど……。「文弱の徒」に用はないというわけだ。で、来賓なる人物はきちんとスーツを着こんでやってきて、テント席の下でお茶なんぞを啜っている(お茶汲みは女生徒の担当だ)。どんな競技が行われても、面白くもないというような顔をして、終始姿勢を崩さない。句は、そのことを言っている。運動会のテーマで、来賓に着目した句は珍しい。作者については何も知らないが、学校関係者なのだろうか。それはともかくとして、この句は必ずしも来賓への皮肉を意図したものではないだろう。ありのままを述べ、後の解釈は読者にゆだねている。すなわち「運動会」に寄り掛かって句をおさめている。まことに「俳句的な俳句」の技法が使われているところが、特徴だ。そんなによい句ではないけれど、俳句的という意味では、なかなかに達者な作品である。本日は「体育の日」。読者のなかに来賓で呼ばれている方がおられましたら、運動場でこの句を思い出していただきたい。なるほど「姿勢つづきぬ」だなあと苦笑されることだけは、請け合いますので。「俳句文芸」(1999年10月号)所載。(清水哲男)


October 08102001

 子を走らす運動会後の線の上

                           矢島渚男

ちんと調べたわけではないが、現代の外国には全校生徒が一同に会して行う「運動会」はないようだ。日本では明治七年(1874年)に、海軍兵学寮、札幌農学校、東京帝国大学などの高等教育機関で、外国人教師の指導ではじめられたというから、原形はヨーロッパの学校にあったのかもしれない。作者は、まだ学齢以前の我が子と運動会を見に行き、終わった後で「線の上」を走らせている。よく目にする光景だ。この子もこの学校の校庭のこの「線の上」を、やがて走る日が来るんだという親の思いが伝わってくる。どうかしっかり走ってくれるようにと、無邪気に走る我が子を見つめている。近い将来に備えての予行演習をさせている気持ちも、なくはない。運動会を運動会らしく演出する方法はいろいろあるが、この白い「線」もその一つだ。何本かの白線が、校庭の日常性を非日常性へと変換する。地面に引かれた単なる白線が、空間全体をも違った雰囲気に染め換えてしまうのである。この白線がスタート地点とゴール地点、そしてその間の道筋を明示するものだからだろう。こんな白線は、日常的には存在できない。同じような句に、平畑静塔の「運動会跡を島の子かけまはる」があるけれど、「跡」よりも「線」に着目した作者の感覚のほうが鋭いと思った。さて、蛇足。私が子供だったころの運動会は、村祭みたいなものだった。男たちは、酒盛りをしながら見物してたっけ。それが日常だと思ってたのは主役の我ら子供だけで、農繁期を過ぎた男たちには非日常を楽しむ絶好の場だったというわけだ。娯楽に乏しい時代だった。『采微』(1973)所収。(清水哲男)


October 08102004

 運動会昔も今も椅子並ぶ

                           横山徒世子

語は「運動会」で秋。近所の学校の運動会を、よくのぞく。べつに知人の子や親戚の子が出ているわけでもないのに、つい徒競走スタートのピストルの音や歓声などに誘われて足が向いてしまうのだ。三十分くらい子供たちの元気な動きを見て、満足して帰ってくる。きびきびした身体の動きは、見いるだけで気持ちがすっきりする。が、掲句を読んで「はっ」と思ったことに、もしかすると私が運動会を見に行くのは、そのようなこともあるけれど、もう一つは郷愁を感じたいためかもしれないということだった。騎馬戦や棒倒しは危険なので止めようとかいった競技の変遷はあるにしても、「昔も今も椅子並ぶ」で、運動会ほどにデザインの変わらない学校行事は、他に無いのではあるまいか。入学式や卒業式のスタイルは大きく変わってしまったし、学芸会はほとんど姿を消し、遠足などもあまり遠くまでは歩かなくなった。残るは運動会のみというわけで、あの空間には誰もが子供だった頃の様子が、そのまま保存されていると言ってよいだろう。椅子の並べ方も同じなら、来賓のためのテントも同じだし、流れるマーチも昔と変わらず、運動場に引かれた白線だってそっくりだ。郷愁を誘われるのも、無理はない。この句は端的に、そのあたりの事情を述べている。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 05102006

 運動会の地面をむしろ多く見る

                           阿部青鞋

の頃は一学期のうちに終えてしまう学校も多いようだが、運動会といえば九月末から十月にかけて行われるのが相場。朝早くから学校に出向いて観客席を確保した経験を持つ人も多いのではないか。茣蓙やビニールシートをコーナーぎりぎりに広げたので、駆けて来る子が勢いあまって観客席に飛び込むハプニングもあった。地べたに座り込んで競技を追う目線を思うと「地面をむしろ多く見る」という捉え方はもっともで、そう言われて初めて土を蹴立てて走ってくる日焼けした脚や、スタートラインに並ぶ運動靴、競技と競技の合間のがらんとしたグラウンドなどが、現実味を帯びた記憶として甦ってくる。運動会を詠むのに運動会の高揚した気分や競技ではなく冷たい地面に着目する。「むしろ」という比較表現でその上に展開している情景を暗黙のうちに立ち上がらせる手腕。青鞋(せいあい)の句は固定観念にとらわれた見方をすっとずらし、在るがままの風景を見せてくれる。「水鳥の食はざるものをわれは食ふ」「ゆびずもう親ゆびらしくたゝかえり」『俳句の魅力』(1995)所載。(三宅やよい)


September 3092013

 転ぶ子を巻く土ぼこり運動会

                           嘴 朋子

年のように、近所の小学校の運動会を見に行く。年々歳々、むろん児童たちは入れ替わっているのだが、競技種目は固定されているようなものなので、毎年同じ運動会に見えてしまう。ともすると、自分が子供だったそれと変わりない光景が繰り広げられる。転ぶ子がいるのも、毎度おなじみの光景である。掲句では「巻く土ぼこり」とあるから、かなり派手に転んでしまったのだろうか。しかし作者は可哀想にと思っているわけではない。転ぶ子が出るほどの子供らの一所懸命さに、拍手をおくっているのだ。いいなあ、この活気、この活発さ。昔住んでいた中野の小学校の運動場は、防塵対策のためにすべてコンクリートで覆われていたことを思い出した。運動会も見に行ったが、転んでも当然土ぼこりは立たない。転んだ子は、どこかをすりむいたりする羽目になりそうだから、見ていてひやひやさせられっぱなしであった。やはり、運動会は砂ぼこりが舞い上がるくらいがよい。『象の耳』(2012)所収。(清水哲男)


September 1892014

 運動会静かな廊下歩きをり

                           岡田由季

の頃の学校はいつ運動会をしているのだろう? むかし運動会と言えば秋だったけど、この頃は残暑が厳しく熱中症になる危険があるので、9月の運動会は少なくなっているのかもしれない。さて、運動場は応援の声や競技の進行で沸き立つようなのに「ちょっとトイレ」と入る校内の廊下は人気なくしんと静まり返っている。「運動会」と言えば思い浮かべるシーンと少し外れた視点から掲載句は詠まれている。きっと誰もが経験しておるが、気にも留めないで通り過ぎてしまう出来事だろう。そんな場面に目を向けて言葉で丁寧に掬い取っている。ひたひたと歩く自分の足音と、時折ワーッとわき立つ遠くの歓声まで聞こえてきそうだ。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


November 06112015

 音読の東歌の碑へ紋鶲

                           関口喜代子

外のとある場所に歌碑あり、東歌とある。「つくばねに・ゆきかもふらむ・いなおかも・・・」何やら声を出して歌を読んでいる。百人一首でもないしと耳を傾ける、筑波嶺、ああこれが万葉集か何かに出てきそうな調べ東歌だったのか。と、心も和んで辺りに眼をやれば色鮮やかな小鳥が枝を渡っている。つと歌碑に飛び移ったのを眺めればこれは翼に白い紋を付けた紋鶲であった。いつもこの頃になると同じ縄張りを巡ってくる。ヒッツ、ヒッツと火打石を打つような鳴き声から「火焚き(ビタキ)」と言われるとか。「いとしきころが・にぬほさるかも・・・」の音読に拍子をとるかのように、ヒッツヒッと鳴いて飛び去った。秋も長けた。他に<夫と描く初冠雪の夜明富士><騎馬戦へ太鼓の連打運動会><流木に座して友待つ秋日傘>などあり。俳誌「百鳥」(2015年1月号)所載。(藤嶋 務)




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